自分にとって“しっくりくる/心地よい”を丁寧に探す

生きづらさからの脱出をしたくて散々色々なことを手当たり次第やってみた訳だけど、

辿り着いた答えは

【自分にとって、しっくりくる事・心地よいことを見つけていく。どんなに小さな事でも、自分のいちばんの欲求を自分でかなえてあげる(とにかく、ひたすら!)】

 

世の中的に「こーゆーものでしょ、これが常識でしょ、こーゆー風にしないと世間から白い目で見られるでしょ」とされているものを「これいいか」となんとなく選ぶのではなく「これいいな」と選び重ねていくこと。

 

体調を整えるための云々だとか、生活習慣・食生活だとかももちろん大きいけど、

そういった類のことも含めて「自分にとってのこれがいいなは何なのか」をそれはもうひたすら、ひたすら自分と向き合って丁寧に探していく。

それに尽きるんじゃないかな、と思う。

 

例えば街で自販機でペットボトルを買う時。

「うーん、まぁ、これでいっかー」と選んでいたものを、

「これがいい!今わたしはこれが飲みたい」と選ぶこと。

いつものクセや、なんとなくの習慣で選んでいた「考えるの面倒だし、コーヒーでいっか」とボタンを選び押していたことを、「今の気分だとオレンジ?しかも炭酸にしちゃう?なんだかこっぱずかしいけど、オレンジのファンタって感じだ・・!これがいい!」と、するみたいな。

その瞬間瞬間の自分の本当の願いはなんなのか自分で見つめ、自分で叶えてあげると、ちいさなタイミングでいちいちワクワクするのだ。まさに上の文章みたいに。

生活の中の、なんでもない小さな場面にテンションが上がり、生活をつくるひとつひとつがどんどんと色づいてくる、とでもいうか。

 

産後、いちばん苦しめられたのは、まさにソレだった。

「母親ってこーゆーものでしょ」

「母になったんだから白い目で見られないようにちゃんとしなきゃ」

「私は子育てに関してこう思うけど、周りの人があぁ言うから、うるさく言われないようにしなきゃ」

そうこうしてるうちに、どんどん自分としての私が小さくなっていったけど、全部自分の思い込みだったんだよね。

「母親らしく」なんてものは、ものすごく曖昧でぼんやりとしたもので、それこそ他人に評価されるものでもない。それに気づいてから、封印しかけていたヴィンテージ古着たちや何だか派手な靴や、ピアスを解禁して、金髪にして小さなタトゥーも入れてやった。もし「あら、あのお母さん、あんな風貌して母親の自覚なくて恥ずかしいわねー」とでも影で言われたとしていても、言わせておけばいい。批判的に見る人もいれば、肯定的に見てくれる人も必ずいるし、そもそも、わたし自身がそーしている自分が一番心地いいんだから。

わたしの心地良いを、人様に邪魔されてたまるか・・!

「母親像」の呪縛から解かれるに至るまで。

 

そーこーしてたら、今までの人生で今いちばん自分が好き、たぶん。

 

自分の願いを、ものすごく小さなものから、ちょっとしたもの、少し大きめのもの、できる限りを叶えていったら、暮らしが「自分の好き、わたしにとって心地よい」ばかりになった。世の中的こーゆーものからの脱却。

そして自分に集中することで愚痴を言ったり卑屈になったりする事がすごく減った気がする。

周りの事がプラスの意味でしか気にならなくなるというか。

 

そしてここ最近の自分願望との向き合いは、SNSとの付き合い方。

いちいちフォローやいいねで他人からの評価を気にしてしまう(ほぼ手放したけど、やはりまだ残るは残る)システムが近頃ぜーんぜんしっくりこなくて、そーゆーのがない発信の場を探して放浪中。

ということでの、はてなブログに戻ってきました(noteも評価制なんだもの。もーなんでもかんでも、ねぇ・・!自分に集中させてくれー)

なんか、スクラップノートの様に、自由に使いたいな。

 

さて、外が明るくなってきた。

本日パッと目が覚めて5:00。

今日も今日とてよい日だ。