わくわくする、に素直にいこう2024

やっぱり何かを作りたいみたいで、

インスタで手作り服をのせている人たちを見ているとわくわくしてくる。

みんな楽しそうで、自由で、創作してて、私もこの中に入りたいなーと。

 

この5年、何か作りたい気持ちはあれど、

どうにも子育てでいっぱいいっぱいでゆとりがなく、どーにか頑張ってやろうとしてもどーも義務感になって逆に疲れちゃったり。

 

気力と体力と時間の関係で、NHKソーイング番組を見て、作りたい欲をどーにか消化していたりした。

 

でも、そろそろよゆー出てきた気がする。

暇だなーと思うタイミングも増えてきたことだし、作る人、やりたいな。

 

作った服ですごす割合が高い人になりたい。

 

とゆーのも、オリジナルで生きたい想いが強いなーと。

工場で大量に作られた服を着るんじゃなくて、私の服を私が着たいなーと、実はずっと思っている。

 

ついついめんどくさいな、の思いが勝ってしまうんだけど、チクチクと縫って、時間を過ごしたいよな、と思う2024。

日暮里いこかな

 

 

こそだてってやつ

1日の中で何回何十回と、

自分の取った対応はこれで良かったのかなーと考えながら過ごしている子育て5年生。

 

何が息子の為になるのか

親子の間で、家族の中で、成立していることも

外の世界と触れると

はて、こーゆー場合ってこれでいいのかな?

あの時のあれってあれで良かったのかな?

息子の為になっているんだろうか

と時々すごく不安になる。

 

でも、

とにかく君の事を好きな気持ちが全部だからさー

大人になった時に、

自分の事も他人の事も信じる力をプレゼント出来るように、

 

日々それを柱に何度も葛藤しながら毎日やっています。

 

うん。

大丈夫…!

私よくやってる!!

多分!

 

よくわからないけど、きっと!!

 

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つながり

しいたけ占いでもしいたけさんが言っていたのだけど、近頃の私は本当に過渡期というか変革期というか、

 

しいたけさんの言葉を借りると

「深海レベルの深い暗い所から海水浴場に戻ってきた」そんな感じ。

 

 

世界だとか社会だとか全てを信じられなくなっていて、家庭だけが安全な場所の様な感覚で、保護犬の様に怯え戦ってきた。

でも、

そこからほんとうの海水浴場まで戻ってこれたのはやっぱり人のおかげで

 

旦那や友達や、お客さんや、以前1度会っただけなのに心の中に居続けた素敵女性のコンサルさんや、

いろんな人の言葉がまとまって

目の前の膜が破けていくような。

 

 

キラキラしてたり

ゆるゆるしてたり

ふわふわとしてたり、

 

そんなんだけじゃないってもう充分にわかってるいい大人だから、

 

だから

大人らしく

キラキラとかゆるゆるとかふわふわとか、そっちに焦点を当てていこう。

 

 

散々自分を整えようと、自分の内へ内へと入って行ってたけど、

大きな扉を強い力で開けてくれたのは、

自分1人の力じゃなくて

人たちだった。

 

すごいな。

 

そういえば、漫画ハチクロの中でも言っていた。

光の刺す方へ向かって、と。

光を見るか、闇を見るか。

光と闇が表裏一体なのならば、光を見ていきたい。光を見ていける人になりたいという気づき。

 

 

 

新しい年

2024年。新しい年。

お正月は気持ち新たにパリッとするのでとても好き。一年で1番好きな行事かもしれない、と思っていたのだけど、今年はびっくりする位に日常感強めだった。

例年と何が違うだとか具体的なものは全くないのだけど、37年目のお正月にして、自分の感覚が鈍ってしまったんだろうか。

 

いつも以上にすっきりとした明度の空、賑やかさと慌ただしさの年末を越えてお正月の静かな空気の色。気持ち新たに、自分が別の次元にワープ出来た様な感覚。

そーゆーのが無かった気がする。

天気のせいもあるのかな?

振り返ると12月1ヶ月バタバタしていて、とにかく疲れていて20時間位寝てしまった元旦だった。

 

そんな私とは反比例して、息子4才にして初の年越し。0時を跨いで起きてきたよ…!元気…!

 

私の、元旦20時間睡眠も旦那と敷地内に住む義両親のおかげです。ありがたや、、。

お陰様でお正月4日にしてやっと身体が動き始めました(間で呑んだら食べたりはしているが。義実家にお世話になりっぱなし泣)

 

それでもやっぱり新しい年。

何となく新年としての心意気はうまれた。

 

おみくじを引いて(小吉だったけどお言葉がよかったのでお持ち帰り)、

タロットを引いて(上半期は逆位置でなんだかパッとしないけれど、下半期は良い空気感のカードだった。あ、ここ数年自分で自分の為のタロットを引くのが趣味です)、

 

ノートにこれからの自分についてツラツラと書く。

 

お正月から大きな地震が起きたり、飛行機が燃えたり、大規模な火災があったり、なんだか悲しい事が一気にやってきている中、

人生と幸せと生きがいと自分に出来ることは何かを考える時間がよりリアル。

 

生きとし生けるもの皆幸せだといいなーと思う。地球と動物と子供達とみんなハッピーだといいよね。その為に私自身も心地よくハッピーだと良い(子供の幸せは親のご機嫌がモットー)。

 

そんな大それた事を考えたり考えなかったりするけれど、2024年、1番の目標はとにかく健康です。筋力が、ほしい…!筋力と気力と活力…。

どんどんとパワフルになる息子についていけるように、365日のエンドレスサドンデス子育てを君の独立までやっていけるように、体力をつけるよ…(1年で数回寝込むので365日しっかり子育て参戦できているかと問われると、うーむですが。ありがとう、旦那氏)

 

子育てエンドレス日常に入ってもうすぐ5年。365日×5年、毎日息子と過ごしている。家族ってすごいね。

体力なさすぎてもう色んな願望が消えかけているけど(直近で外国行きたいとか欲が消えたね。遠いいわ。近場で温泉入れてご飯朝夕出てきてほげーーっと出来るとかのがいいわ。どんどんと、毎日過ごすだけで思った以上に体力使うね笑)、今日も君の事が好きだよ。

息子が穏やかに安心して息子らしく毎日を過ごせるように、今年も母ちゃんは頑張ります。選手宣誓。寝る。

 

自然体

こんばんは、エマです。

眠い。

眠いけど、なんだか今日はとても良い。とても良かったので文章を書きたいなぁと思った次第です。

午前中は仕事をして、お昼を食べて、午後は息子時間を過ごし、息子のサッカーに行く。夕飯のカルボナーラも美味しく出来て、息子、皿まで舐めるという。仕事、自分、母とちょうどよく楽しく過ごせるのは自分が喜ぶ。

 

「自分が喜ぶ」ってゆーのがもうなんか1番なんじゃないかなぁってひしひしと感じている夜の微睡み時間。

 

そうか、自然体って嬉しいんだなぁ。

 

オーガニックとか地球に優しいとか色々と向き合ってきてどんどんと私なりの落とし所的理解が深まっているこの年末なので、忘備録として残しておきたいと思います。

 

 

この数年、オーガニックとエコについて、私なりに向き合ってきた。目覚め→アドレナリンバキバキ→冷静になる、という過程を経て、

結局の所やっぱり今1番、自分にとって心地よい生活に落ち着いている。

 

目覚め→知識をどんどん入れる、思考をこねくりまわすの繰り返し

疲労、脳内パニック

 

アドレナリンバキバキ→あれもやりたいこれもやりたい、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、時間と体力がついていかない

自分責め&脳疲労、脳内パニック継続

 

冷静になる→やりたい、やらなきゃの断捨離。知識を入れない

落ち着くところに落ち着いた

 

って感じだと思う。

 

 

落ち着くところに落ち着いたのも、過去の目覚め期とアドレナリンバキバキ期に、気になってやれる部分やったという経験があったからの様に思う。

 

やってみて、自分にとって無理なく心地よく自然体に出来る、やっていきたいことが残ったのかもなぁなんて。

 

結局私はやりきれなかった人なんだと思う。

肉も魚も美味しくて食べたいし、

畑は中途半端だし、

マックのドライブスルー大好きだし(車から降りずにコーヒーが買えるなんて最高!)、

息子はお菓子もジュースも食べまくり&飲みまくり。夕食後アイスかチョコでしめてしまうし、朝イチでコーヒー飲まないと動き出せない笑。

 

雑誌で見るナチュラル生活が羨ましい、と思いながら都会に行くとやっぱりワクワクするし、

ファストファッション地球にも人にも悪い!とか思いながら、SHEEN(スペル合ってる?)をダラダラ眺めてはたまに注文してしまう。

 

もうあれだ。

出来ることしか出来ないわ。

そして自然体で無理なくナチュラルにやれる事しかやれないわ。

 

自分改革として大工事の為にテコ入れしまくって、ノートを書きまくっては自分を見つめ直して少し整ったかしら?と思ったのも束の間。

幼稚園というママ世界の社会に属したら、まぁなんと群れられない事よ…!!笑笑

 

もうね、そういう種族じゃないらしいね。

わかった。

人間にも動物の様に、肉食動物とか草食動物とか、群れで暮らすとか少数で暮らすとか単独で暮らすとか、そーゆーのあるみたい。

 

私は私だな。

それでしかないらしい。

 

自然体。

 

自然体が良いのか悪いのかわからない。

「自分に無理のない」を見つめて行ったら、カルチャーの吸収が好きだと思っていたはずなのに、実は映画だとかを見すぎると疲れる、という事を知ってしまった(ミッドナイトスワンとか、入ってきすぎて、2〜3日気分が落ちた)

 

もっともっと仕事をがんばらなきゃ…!という思考は疲れると気づいたら、数や額を求めるのが向いてない、という、資本主義の現代社会で成功の枠に到底入れない位が、自分が仕事に対して求める本質の願望だと気づいてしまった。

 

カルチャーも仕事も、脳内でもっともっと!と考えているだけで、実際の行動まで伴ってなかったから、ただの妄想気苦労だったんだけども。

 

なんか、小さく自分の心地よいを続けられたら、もうそれだけで私の人生万歳だ。

自然体。

腑に落ちてとても楽になった。

 

私にとって心地よく喋り、その場に居て、人と繋がり、食べたりゴミを出したり、デジタルに触れたり情報を得たりする。

そっかそっか、そーなんだな。

 

おやすみなさい。

社会と自分軸の狭間で

こんばんは、エマです。

エマ、の自称が気に入っているのでどこか別の場所でも浸透させて出来れば呼ばれ名として使っていきたいのだけど、中々自分のモノになっていかない笑。

 

なのでここではしつこくエマでやって行こうと思います(呑み屋で名乗るときはエマでいってるけど、大抵その日限りで呑んで喋って→通う、という事をしないのでそのまま消えていく)。

 

 

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なんだかんだと、色々な事から数年経った。

⚫︎出産というアイデンティティの崩壊

⚫︎コロナによっての世界の見え方が変わる的アイデンティティ(というのか?)の崩壊

⚫︎自然派への目覚めによって今までの生活価値観がごそっと変わる的アイデンティティ?の崩壊

 

改めて考えてみると、崩壊、再建しまくった出産からの30代だな。

 

結構に大きな、人間性入れ替え期をやった気がするので、振り返ってみると、結構疲れた。

自分というキャラも訳がわからなくなったりして、今思うと無理めなポジティブ思考&ハッピー、そしてラブピース!な感じをやっていたと思う。

 

アドレナリンバキバキ期…笑

 

なんせね、

社会に4年程属して無かったわけで!

子育て専念専業主婦とゆーのは、マイワールドに没入しまくるね…!

 

幼稚園という社会に属し、

それによって、1つのコミュニティーで継続した関係性があって、その中で自分をやる。とゆーのを久しぶりにやったら、アドレナリンバキバキもだいぶ落ち着いて、やっと自分ってこうだな、ってゆーのが冷静に見えた気がする。

 

自分が無理せずにナチュラルに出来ること、

無理しても出来ないこと、

向いてること好きな事得意なこと、

寝込む位に向いてない事やりたくない事やらない事。

 

面白い位に自分が見えた。

 

自分軸なのかわからないけど、

社会というモノがあって、こーゆーのが標準、的イメージがあって、でもそのイメージにハマる為に自分の形を変えるのは違うなと。

 

社会の中で、自分というキャラが、自分として出来る事をやっていく。

それが見えたかもしれない。

 

人間とゆーのは面白いですね。

私も息子も、1人1人違う人間で、おんなじ人間は1人もいない訳で。

無理に変形させないでナチュラルに、それぞれが自分の形でやれる事をやっていくんだなぁ。

 

私はそーゆー意識と感覚が欠落してここまで生きてきたので、結構に目からウロコ案件なのです。この感じ知ったら、なんかより人間って面白いなぁと。

 

 

.

 

話変わって、

舞台化した、村上春樹ねじまき鳥クロニクルを観に行こうか迷って、原作を読んでいるんだけど、結構長期かかっちゃって、多分舞台間に合わない笑。

 

のだが、心理学だとかを通ってから読む村上春樹は本当に面白い。

本を読もうとなると、なんだかんだと村上春樹でポツポツ読んでいるんだけど、毎度本当面白いんだよな。

 

だからすごい人なのか…!というのが、見えてきて、だいぶ好き。前も結構好きだったけど、もっと好き。深い。

 

 

冬は冬眠の種族なのか、夏と比べてめっきり活動欲が薄れているので、ゆるゆるとのんびり過ごしています。

では。12月がもうこのままずっと冬の気温でありますように。冬はずんずん歩くと気持ちが良いので、冬も好きです。

 

 

「共感力」について考えてみている今日この頃

おはようございます、エマです〜〜

新生活がちょっと落ち着いて、一気に疲れがどっと来ているーうー

体力と気力と仕事量とのバランスが、

あぁどうにも掴めない。

朝からタンパク質摂取、朝焼き鳥中、エマですーー

 

さて、何だか近頃よく耳に入ってくる「共感力」

実生活でも共感とは何なんじゃろか・・と考える機会もあり、

ネット上でもやたらと、何かのメッセージの様に“共感力“と目に入るので、

一度推敲しておくタイミングなのかなぁと思っている。

 

さて「共感」とは何なのでしょうか?

自分の共感力について考えてみると、今までの人生を通して全体的に、

共感力高め人間なんじゃないか?と思っている。

 

思っていた。

うん。

改めて推敲として共感について考えるまでは自分は共感力高めだと思っていたのよね。

 

相談やカミングアウトされる機会も多くて、その時は寄り添っていた(つもり)だし、

相手の意見を尊重して行動していたし、

ありがとうとかお疲れとか、口癖人間だし。

 

しかしよく考えると、

相談に寄り添うつもりで軽く自己満アドバイス的なこともしていたし、

相手の意見を尊重→“自分の意見は胸のうちに秘めて、同意して合わせる“だったし。

思い当たるフシの話でいくと、

結婚当初、旦那の服のセンスが理解できず笑、オシャレ化計画として旦那のクローゼットを一掃整理したことあるし笑。

 

そこで思った。

共感力って、私の価値観の中では「はてな?」な事でも、

相手には相手にとっての「好き、嫌い、大切」などなど沢山の価値観があって、

相手のその気持ちを大事にする事なんだなって。

 

自分の価値観と全然違っても、対立したり、馬鹿にしたり、

自分の価値観に合わせるよう強要?したり(ちょっと言葉が強いけど、夫婦感での何でわかってくれないの!ってコレなのかもと思った)、

そーゆーことじゃなくて、

私とゆー人間と、私の価値観とは違ったものを持っている人間が、

お互いを尊重して認め合う、ってゆーのが共感力なのかなと。

 

子育て生活の中では、なぜか生まれた瞬間から意識していた

「息子には息子とゆー人間的価値観があるのだから、親だからと行ってその領域に入っていかないぞ!!」

ゆーやつ。

 

息子が、やりたくない!こっちがいい!と言うならば、それを尊重しつつ、

お互いがしっくりくる落とし所を見つけよう!と思ったり、

何だかノロノロと、無駄(に見える行動)を挟みつつ、着替えをしている時も、

「急いで!」と言わないように気をつけていた。

 

自分にとって心地よいペースがあるのは子供でも同じだと思うから。

 

今こうやって「共感/共感力」について考えてみると、

息子と触れ合う時に意識していたことが共感力とゆーものだったのかもしれないなぁ。

 

共感。思いやり。云々。

それを大事にするにはまず自分の中の、自分軸も大事にすること。

自分の気持ちを殺してまで相手を思いやったり、共感するのはまた全然違うと思うから。

 

そう思うと旦那のオシャレ化計画も、私の暴挙ではなかったはずだ。

そのセンスは理解し難い私の気持ちにも、ぜひとも共感を。