【2021、12月に書いて保存されていた記事をアップします】
産後、自分の見つめ直しを始めたときに
まず考えたのは
消費についての意識を変えたいなぁ、、!
ということだった。
その時は特に資本主義社会への疑問だとかそーゆーことをそこまで考えていなくて、
街をちょっと歩くと物ばっかり、物に溢れててなんか気持ち悪いなぁー
と、ショッピングモールだとかに行くとうっすらと何となーく違和感を感じ始めた程度だったんだけども、、
そんな違和感を持ち始めてから眺める社会は、どんどんと私の中で、{お金を基準に回り、物が飽和しすぎている不自然な世界}となっていった。
.
何かを買うと、その一瞬はちょっと心が躍る。
でも、本当に欲しいものを買ってる訳じゃない、気がする…子育てで疲れ切った心の隙間を満たす為に何でも良いから何か買い物したがっている、そんな自分に気がついてしまった。
冷静に消費活動という物を見つめてみると、私は物欲のモンスターに振り回されて生きていたんだな、と思った。
【なんだか踊らされてる感がないかい、自分よ…】
資本主義社会に都合の良い思考を持っている自分がいる事を知ってしまった。そう思ったらぞっとした。
そんな自分を手放したくて、「消費」について見つめ直し、自分が持つお金への価値観を紐解いてみた。理想と現状/自分が勝手に築いてとらわれている思い込み等をひたすら書いて、自分自身気付きを重ねていく作業をした。
この先の人生をどんな自分で過ごしたいのか。
人生をつくるのは1日1日の生活だなぁ、と思い、自分の生活を作る環境(ほんとうに気に入っている物や服と過ごしているか?)を徹底的に見つめ直しながら、掃除&読書を重ねていく。
何となく使っている物を手放し、
何となくで使っているスペースを心地よい状態に整える。
【これでいいや】ではなく【これが良い】を暮らし中に振り撒き、種を蒔くような作業をした。
心地よい空間を整えるのは、心地よい自分でいる為の準備。そう思うと、土壌を整えて種を蒔き、水を与え実りを得る。結びつけて考えた事はあまり無かったけれど、人が暮らす姿と植物の育つ姿は遠いいものではないのかもしれない。
妥協せずに本当に欲しいものを欲しい様に買ってたらお金がいくらあっても足りないじゃない!と思うかもしれない。
でも、本当は欲しい訳じゃない物を無駄に消費しなければ、総裁されて、出て行くお金はそんなに変わらなかった。
しかも…!自分の本当の願望を満たしてるから、満足感高し。そしてお気に入りを揃えているから買い替えることが無くなったと思う。
生活の中で視界に入るものがお気に入りばかりになると、手に取り触れた時に「うーん」と何となくモヤっとした感情でなく、「わーい!」と小さく心踊る気持ちになる。
生活を囲むものが大切なものばかり!
その状態になると着替える時も、コーヒー飲む時も、トイレに入っている時、歯を磨いている時にだって心地よい。
沢山買い物してると豊か
新しく物を買うこと=良いこと
それって本当に?
まずは違和感を受け流さない。小さくても違和感を感じたら、その事に対してどんな自分でいたいのか、自分の考えをもつ。世の中的にこう言われているから
世界の見え方が変わった。
そして物の価値の捉え方も変わった。
そんなこんなして消費について考えた2年半ちょい。100円ショップやショッピングモールにほぼ行かなくなった。
たまーに行くとなんかドキドキしちゃって、逆の意味で。
でもたまーに行くと、なんかその場の高揚感?みたいなのにはワクワクはする。そのワクワクだけ味わって、食品を買う位の使い方になった。
経済活動のためにバンバン物が作られて、物に溢れて物が余りまくって、物が使われずに捨てられる様な社会。
そんなデカい話はどーにもならんし、考え始めたらなんか無駄に悲しくなる。
きっとデカい事は考えすぎないで良いんだと思う、という結論に至った。
私と家族が生きる、この半径何メートルかの世界の中で、その中でどーゆー風に暮らし、どう生活を重ねて、どんな人生にしていくかということ。きっと。