「共感力」について考えてみている今日この頃

おはようございます、エマです〜〜

新生活がちょっと落ち着いて、一気に疲れがどっと来ているーうー

体力と気力と仕事量とのバランスが、

あぁどうにも掴めない。

朝からタンパク質摂取、朝焼き鳥中、エマですーー

 

さて、何だか近頃よく耳に入ってくる「共感力」

実生活でも共感とは何なんじゃろか・・と考える機会もあり、

ネット上でもやたらと、何かのメッセージの様に“共感力“と目に入るので、

一度推敲しておくタイミングなのかなぁと思っている。

 

さて「共感」とは何なのでしょうか?

自分の共感力について考えてみると、今までの人生を通して全体的に、

共感力高め人間なんじゃないか?と思っている。

 

思っていた。

うん。

改めて推敲として共感について考えるまでは自分は共感力高めだと思っていたのよね。

 

相談やカミングアウトされる機会も多くて、その時は寄り添っていた(つもり)だし、

相手の意見を尊重して行動していたし、

ありがとうとかお疲れとか、口癖人間だし。

 

しかしよく考えると、

相談に寄り添うつもりで軽く自己満アドバイス的なこともしていたし、

相手の意見を尊重→“自分の意見は胸のうちに秘めて、同意して合わせる“だったし。

思い当たるフシの話でいくと、

結婚当初、旦那の服のセンスが理解できず笑、オシャレ化計画として旦那のクローゼットを一掃整理したことあるし笑。

 

そこで思った。

共感力って、私の価値観の中では「はてな?」な事でも、

相手には相手にとっての「好き、嫌い、大切」などなど沢山の価値観があって、

相手のその気持ちを大事にする事なんだなって。

 

自分の価値観と全然違っても、対立したり、馬鹿にしたり、

自分の価値観に合わせるよう強要?したり(ちょっと言葉が強いけど、夫婦感での何でわかってくれないの!ってコレなのかもと思った)、

そーゆーことじゃなくて、

私とゆー人間と、私の価値観とは違ったものを持っている人間が、

お互いを尊重して認め合う、ってゆーのが共感力なのかなと。

 

子育て生活の中では、なぜか生まれた瞬間から意識していた

「息子には息子とゆー人間的価値観があるのだから、親だからと行ってその領域に入っていかないぞ!!」

ゆーやつ。

 

息子が、やりたくない!こっちがいい!と言うならば、それを尊重しつつ、

お互いがしっくりくる落とし所を見つけよう!と思ったり、

何だかノロノロと、無駄(に見える行動)を挟みつつ、着替えをしている時も、

「急いで!」と言わないように気をつけていた。

 

自分にとって心地よいペースがあるのは子供でも同じだと思うから。

 

今こうやって「共感/共感力」について考えてみると、

息子と触れ合う時に意識していたことが共感力とゆーものだったのかもしれないなぁ。

 

共感。思いやり。云々。

それを大事にするにはまず自分の中の、自分軸も大事にすること。

自分の気持ちを殺してまで相手を思いやったり、共感するのはまた全然違うと思うから。

 

そう思うと旦那のオシャレ化計画も、私の暴挙ではなかったはずだ。

そのセンスは理解し難い私の気持ちにも、ぜひとも共感を。